長く休みを取っている人から見たら”哀れ”なのかもしれませんが、実際お盆の連休も仕事なので仕方ありません。ふと気が付いてみると、この1年半以上にわたる必要以上なコロナへの異常反応で経済的苦境に陥るのは最下層からからなわけで、上流に至っては「何も困っていない」のが現状です。
勘違いはともかく「諸行無常」を感じるわけです。
人生歩んでいると色々な感情が過ぎ去っていくものですが、たまに平家物語の一節が頭をよぎるときは疲れてることが多いのです。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。
実は若かりし頃、この「無常」を「無情」と勘違いしておりまして、勘違いしたうえで「ええ文章やぁ」と思っておりました。今となっては恥ずかしい思い出ですが、そんなことより「コロナ禍」における底辺軽視の政治や”その取り巻き”の言動は許すまじです。
初期のメディアの煽り報道
2020年1月終わりには「新型(武漢)コロナウィルスはちょっとヤバいらしい」という情報は知られていました。ここ札幌はそこから「さっぽろ雪まつり」へ突入し案の定感染者がでました。
今から思うと「騒ぎ過ぎ」感が強かったわけで、ダイヤモンドプリンス号の「ダイプリ事件」が序盤のハイライトだったのです。あのころ上昌広みたいな怪しい人間がメディアを使って危機感を煽っていました。
あの男、当時はイタリアと日本を比較して「経験値が違いますから」などと言い放っていましたが、その後イタリアが感染爆発し医療崩壊したあと上とかいう水虫専門家の消息は知りません。
その後一世を風靡した「岡田晴恵」さんも同類で、とにかく当時は”焚きつけ系”が多くて辟易したものです。
何と言っても「志村けんさんの死」がインパクトが大きく、当時は国民の多くが「謎の多いウィルス」に恐怖し、故に聞いたことがない「緊急事態宣言」という言葉にひれ伏したのだと思います。
思えばあれから1年以上過ぎ去り、あの煽っていた奴らはどこへ消えたのか?
結局「偽物」はいずれバレるわけで、上だの岡田だのはテレビ局に使いにされたゴミだったわけです。
そしてGOTOの時代
コロナ時代となってから、それまであまり意識されることがなかった「利権」というものが注目されだしたことは国民にとって良かったことです。
ただ全てを「利権」とからめて批判することは健全ではありませんし、むしろ最近の「コロナ対策と言えば何をしてもいい」的な政府や行政の方がはるかに危険でヤバいことです。
どの国もコロナ対策と経済対策の両立に苦労していて、日本でも「GoTo」とかいう経済刺激策をやったわけです。ところが政府が何をやっても批判しかしない野党とマスコミが大騒ぎをし、しかも一部政治家の利権の香りも漂い頓挫しました。
個人的には「GoTo」だけでは中途半端だとは思ったものの、言うほど筋が悪い施策だとは思えませんでしたし、8月の帰省の折にはその恩恵を受けさせて頂きました。
実はこのころから2020年の10月くらいまではコロナ新規感染者数は落ち着いた推移で、今思えば「さざ波」だったと言えます。
出典:厚生労働省
今でも変わりませんが、思い出しても危機感や恐怖感だけを煽り続けたマスコミの罪は万死に値します。
マスコミをはじめ食うに困らぬ上級層が「経済への危機感」を無視した結果、どれだけ下級は困窮し、一部には自死に追い込まれたことか・・・。
コロナ初期の混乱が残した教訓
現在デルタだのラムダだの新しい変異株が猛威を振るい、いよいよパンデミックの様相を呈していますが、ここに至るまで抜本的な対策が何も打たれていなかったという不作為と、そこから見える日本が侵されている病理について考えてみます。
有事法制の不備と政治の低レベル
よくコロナ対策については他の先進国と比較されますが、今ですら欧米先進国の感染者や死者数は断然少ないという現実があります。
一時期は「ファクターX」なんて言葉も聞かれましたが、結局のところ「日本人の生真面目さ」が発揮された結果なんだろうと思います。コロナ祭りが始まってから今に至るまで、一部の気狂い以外みんなマスクを着用し続けていますし、他国のマスク強要への反対デモなんかを見ていると、この一点に尽きるような気がします。
そんな諸外国の「ロックダウン」みたいな強権的な制限が日本は憲法の制約上できないわけですが、それは今更な話です。ある意味戦後日本の「一番の問題」なのでしょうが、「戦前の日本=悪い」から論点ずらしそのものですが「憲法改正=軍国主義復活」という左翼メディアや左翼そのもののロジックに毒されて今に至ってます。
有事法制は平時にこそ議論されるべきものですが、議論すらタブーというのは政治家の職務放棄そのものであって、この点については国民はもっと怒るべきです。
しかし一方では、最近の政治家の余りの低レベル化を見せちけられれば「こんな奴らに強権を持たせたら危ない」とも思うジレンマに陥ってしまいます。
「八方塞がり」という言葉がありますが、今の日本はそんな言葉がぴったりと当てはります。
許すまじ「中抜き」利権
コロナ対策という名目のもと、様々な公金が湯水のように使われてきたわけですが、その中からかなりの金額が搾取されていたことも明らかになりました。
実際に労働して、その対価としてお金を貰っている大多数の国民を嘲笑うかのように、一部の企業が国から巨額の金をせしめて、中抜きした挙句下請け企業をイジメているという不正が行われています。
しかも発注する国や官僚が、血税を使っているという意識が気薄であることが「日本オワタ」感を増しています。
よくネットなどでは電通やパソナが叩かれています。これらの企業と政治とのつながりも問題ですが、それ以外にも怪しい企業は数多あります。コロナが落ち着いたら全容解明を期待できませんが期待しております。
単なる利権団体「日本医師会」
自民党にしても野党にしても、さらに官僚やマスコミもダンマリなのが謎なのですが、コロナパンデミックに対して何の役にもたっていないほとんどの医者と、その代表ズラしている「日本医師会」の狡さが多くの国民に知られるという点で、コロナ祭りは画期的だったのかもしれません。
日本にはこの手の利権団体は多いのですが、この「日本医師会」は町医者の団体で、伸び続ける日本の医療費で裕福な暮らしを送っている奴らの組織です。
その目的は「下級国民を騙しながら診療報酬を最大化」することで、実際に現会長の中川とかいうオッサンはあろうことか分不相応な「国民への自粛」を訴えながら、愛人風な女と寿司デートをしたり、政治パーティーを開いたり、もうやりたい放題です。
結局人間の本質的な話になってしまいますが、政治家といわず官僚といわず、そして「国民の命を守る」とウソを言っている医師会も、金と「自分が大事」という下衆だったということが分った”コロナ祭り”だったのです。
中締め・・・?
嫌なことばかりでしたが、いわゆる「上級国民」という存在が”自分本位”で”お金が大好き”で、しかも日本の未来を少しも考えていないということが分りました。
しかしその根源には未だに「教え子を戦場に送らない!」なんていう主張をし続けている勢力が影響しているような気がします。
とはいえ明るい材料があり、そんな左翼の主張やマスコミのダメさが若者にバレていて、はっきり言うと共産党や立憲民主党じゃ「ダメ!」という確固たる若者世論が存在しているのは「日本も捨てたもんじゃない」と思わせてくれます。
そんな希望を胸にオッサンは頑張ります!