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【自動車】アウディが「ドイツ御三家」と言われるまでの激動の歴史

自動車

ドイツ自動車メーカーで御三家と言われる「アウディ」「メルセデス・ベンツ」「BMW」の3社ですが、それぞれ特色が異なり比較していくと興味深いものです。

そんな中で今回は”4つの輪”のエンブレムでお馴染みの「アウディ社」の歴史と特徴について解説していきます。

アウディ社の歴史

ドイツ自動車メーカー「御三家」の中でメルセデス・ベンツが一番古いことはよく知られています。では2番目に歴史あるメーカーはどこかというと「アウディ社」なのです。その歴史を時代の流れに沿って見ていきましょう。

創業期の物語

後で触れますが現在のアウディ社に至るまでの歴史は複数の会社が絡んでいて、ちょっと分かりにくい話となります。

創業者はアウグスト・ホルヒといいます。彼はベンツ社で工場長を務めていた人物で、1898年に独立し「ホルヒ社」を設立しました。1901年には第1号車「Type 4/5PS」を完成させ、本格的に自動車製造へ乗り出しました。

高品質・高性能で評判の良かったホルヒの車ですが、彼にとっては品質と技術が最優先事項であり経営面についての配慮に欠けていたと言われています。

よく「もの造り」にこだわる職人気質の人に多い話ですね。

まさにその通りですね。いずれ”その意思”が分かる時が来るんですけどね・・・。

しまいには経営陣と対立し1909年には会社を去ってしまいます。その後新しい「ホルヒ社」を設立し自動車製造に乗り出したのですが、元の「ホルヒ社」から会社名・車種名への”ホルヒ”の使用を差し止める訴えを起こされ、「ホルヒ」ブランドを使えなくなります。

 

この結果アウグスト・ホルヒは自社の社名を「アウディ社」としました。1910年の事です。

第一次世界大戦の敗戦と苦境からの脱出

1918年11月にドイツの敗戦により第一次世界大戦は終結しました。敗戦後のドイツは深刻な不況に襲われたうえ世界恐慌もあり、さらに自動車業界ではアメリカ系自動車メーカーの進出により、規模の小さな自動車メーカーは消滅の危機に直面していました。

 

この難局のなか1906年にデンマーク人技術者イェルゲン・スカフテ・ラスムッセンのよって創業された「DKW社」が中心となり、「ホルヒ社」「アウディ社」「ヴァンダラー社」そして「DKW社」による「アウトウニオン(自動車連合)」が結成されました。1932年のことです。

 

この時に4社の協力体制を表す4つの輪、すなわち「フォー・シルバー・リングス」というエンブレムが定められました。

 

4社連合は得意分野が分かれており、経済的な小型車の「KDW」、堅実な中型車の「ヴァンダラー」、先進的な技術が売りの中~上級車の「アウディ」、高級車の「ホルヒ」と、見事なフルラインナップです。

 

その後アウトウニオンは業績を伸ばし、1930年代半ばにはドイツ国内シェアの約半分を占めるまでになりました。しかし、またしても戦火に見舞われます。第二次世界大戦です。

第二次世界大戦後の復活

第二次世界大戦中のアウトウニオンはKDWの一部を除いて、ほぼ全て軍用車両の生産に集中しました。大戦も終盤になってくると連合国の空襲により、アウトウニオンの工場はほぼ全滅状態となっていました。

 

ドイツの敗戦後、アウトウニオン復活へ向けた取り組みが1947年から始まりました。最初は自動車部品の製造販売から始まり、2輪車やバンの製造を経て1950年ようやく4輪自動車の発表までこぎつけました。

 

しかし1950年代の後半になると再びアメリカ自動車メーカーの市場浸食にさらされ、危機感を覚えたダイムラー・ベンツ社によりアウトウニオンの株式の88%が取得され、1959年にダイムラー・ベンツ社の子会社となりました。

フォルクスワーゲン傘下となり・・・そして

1965年、生産体制と技術力の強化を図っていたフォルクスワーゲン社により買収されました。ちょうどタイプ1(いわゆるフォルクスワーゲン・ビートル)の陳腐化が明らかになり、新車種開発がフォルクスワーゲンにとって急務だった時期です。

 

傘下企業として「ビートル」の生産を行いながらも、従来のKDWの小型車技術も陳腐化している中、あらたな4ストロークエンジン技術への切り替えを模索していました。

 

新技術への切替えに合わせイメージチェンジを図るため、1965年9月ついに「アウディ」ブランドを復活させます。これが現在の「アウディ」の基となった出来事です。

クワトロの登場と上昇気流

フォルクスワーゲンのグループ企業となり、現在に至るまでのアウディはブランドイメージも大いに高めていました。その中で象徴的なものが「クワトロ」と名付けられた4輪駆動技術です。

 

それまでの4輪駆動というとオフロード走破を目的とした駆動方式で、ジープなどに代表されるオンオフを切り替える「パートタイム」式が常識でした。

それを高性能エンジンのパワーを確実に路面へ伝える技術として昇華させたのが「クワトロ」なのです。センターデフを内蔵したフルタイム4DWの採用は画期的な技術として、その後の自動車に決定的な影響を与えました。

 

この冒険がなければ日本が世界に誇る「GT-R」も、もしかしたら無かったかもしれませんね。

「アウディ80」をベースとした最初のモデルは「クワトロ」と言い、まあそのまんまですよね。その後WRC(世界ラリー選手権)を席巻し、アウディの企業価値を飛躍的に高めました。

 

現在では昔のアウトウニオンでケルヒ社が担っていたような「プレミアム」分野を、フォルクスワーゲン・グループで担当しています。

まとめ

駆け足で「アウディ社」の歴史を解説してきましたが、皆様分かりましたでしょうか?ともあれ現在ではドイツ自動車メーカーの「御三家」と言われるまでになりました。

よく「ベンツ・BMWと比べて後発プレミアム」なんて聞きますが、歴史は長くプレミアムなんてものは乗ってみなければ分かりません。

最後に個人的な見解を言わせてもらえば「直進安定性の王」であるとともに、御三家の中では「運転中の刺激が足りない」のは事実です。しかし、裏を返せば「クワトロ」に裏打ちされた”安心感”なのだと強く思う次第です。

 

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