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【自動車】フォルクスワーゲンってどんな自動車メーカーなのか?

自動車

フォルクスワーゲンと聞くと、なぜか「ドイツ車らしからぬ親しみ」を感じるのは私だけでしょうか。これはドイツ自動車メーカー「御三家」とくらべ、まだ敷居が低く感じるせいなのかもしれません。

アウディやポルシェを傘下に持つフォルクスワーゲングループの中心会社であり、グループの小型車~中型車を担う同社の歴史と特徴を解説します。

フォルクスワーゲンの歴史

良く知られたことですが、フォルクスワーゲンの歴史を語るうえで「アドルフ・ヒトラー」は外せません。どうも世界にはこの名前を出すだけで拒否反応を示す方がいるようですが、事実や歴史から目をそらすのはフェアな行動とは言えませんね。

ヒトラーによる「国民車」計画

1934年にドイツの政権を掌握したヒトラーがベルリンモーターショーで「国民車(フォルクスワーゲン)計画」を提唱しました。まだ世界恐慌の後遺症で苦しんでいたドイツにとって、公共事業として進められる「アウトバーン」と対を成す政策だったのでしょう。

その計画に基づきフェルナンド・ポルシェにより設計されたのが「フォルクスワーゲン・Type1」です。これってビートルの原型で、リアエンジン・リアドライブの進歩的なモデルでした。

「国民車(フォルクスワーゲン)」と称していた名前は、いつのまにか「歓喜力行団の車(KdF-Wagen)」と命名されました。

この車の生産のため1937年「フォルクスワーゲン準備会社」が設立されました。それとともに「歓喜力行団の車を生産するための街」なる都市も建設されました。それが今もフォルクスワーゲンの本社がある「ヴォルフスブルク市」です。

戦争の進展と敗戦

1939年9月のドイツ軍によるポーランド侵攻から始まった「第二次世界大戦

により「国民車計画」は吹っ飛びました。

大戦中は軍用車の生産を行い、遂に国民車は生産されませんでした。そして敗戦を迎えました。

その後KdF車の価値に気づいたイギリスにより「歓喜力行団の車を生産するための街」だった「ヴォルフスブルク市」と工場は管理され、イギリス陸軍のアイヴァン・ハースト少佐の指揮のもと復活への歩みを始めました。

“価値”に気づいて復活の後押しをする。なんかドラマを感じますね。

ハースト少佐はフォルクスワーゲンにとって恩人ですよね。

改めて「フォルクスワーゲン・タイプⅠ」と命名された車を生産し、1947年にはオランダへの輸出をするまでになりました。

また幸運なことに、戦後タイプⅠはイギリスやアメリカの自動車メーカーの調査対象となったのですが、その先進的な設計を理解されなかったためにドイツ車として生き残ることができたのです。

フォード社創業者のヘンリー・フォードが「評価に値しない車」と言ったらしいのですが、今となって思うと「あぁ~あ!」ですよね。

ビートルの爆売れとその衰退・・・そしてゴルフ登場

「フォルクスワーゲン・タイプⅠ(以下:ビートル)」は爆発的に売れ、フォルクスワーゲン社はもとより、外貨を稼いでドイツ復興に大いに貢献しました。

ビートルの累計生産台数は「2152万9464台」で、同一車の生産台数として世界記録で、今後更新されることは無い記録でしょう。

 

しかし時代の流れとともにビートルの技術も陳腐化していき、1960年代以降は他社に比べ遅れを取りつつありました。それでも有効な後継車種を生み出せずにいたフォルクスワーゲン社は1970年ころには経営悪化に苦しみます。

 

そんな苦境の中、ヴェルナー・ホルステの設計とジョルジェット・ジウジアーロのデザインで生み出されたのが1974年発売の「ゴルフ」です。

横置きエンジンの前輪駆動で、極めて合理的なパッケージングにより、フォルクスワーゲン社の立ち遅れを見事に挽回する傑作車となりました。

 

1977年にはホットハッチの原点と言われる「GTI」が発売され、当時は「速度無制限のアウトバーンで唯一追い越し車線を走れる小型車」として熱狂的な人気を博し、”Cセグメントのベンチマーク”という地位を確立したのです。

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世界生産台数1位への道

「ゴルフ」のヒット以降、フォルクスワーゲン社は積極的な海外進出や企業買収を進めていきます。1984年に上海汽車との合弁で中国進出を果たし、(どうかとは思いますが)フォルクスワーゲン社にとって中国市場はドル箱となりました。

買収に次ぐ買収

恐らく1980年代以前は自動車メーカーにとって国境の壁が会社を守ってくれていたのですが、輸出入やグローバリゼーションの進展によってっ競争にさらされることになりました。

そうなると弱肉強食です。強者となりつつあったフォルクスワーゲン社は1991年に隣国チェコの老舗自動車メーカー「シュコダ」を買収し、1993年にはスペインでシェア1位の「セアト」を完全子会社化します。

 

その後も「ベントレー」「ブガッティ」「ランボルギーニ」などの高級車メーカーを次々買収していき、2016年には世界販売台数1位になり以後その地位をキープしています。

規模拡大の歪み「ディーゼル不正」

組織が拡大すると歪みや硬直化という問題が出てくるもので、フォルクスワーゲン社も「規模の拡大」が最優先課題となってしまい、不正に手を染めてしまいます。

 

「環境に優しい車」という分野では日本の「トヨタ自動車」がハイブリッド技術で先行しており、遅れをとったヨーロッパの自動車メーカーは「ディーゼル車」をその分野の主力としていました。

しかしディーゼルエンジンから発生する有害物質の除去は難しく、またコストもかかることから、あろうことか「排ガス試験時にだけ有害物質の排出を低下させるソフトウェア」を搭載してしまいました。

 

2015年9月にアメリカで発覚し、世界の自動車業界を震撼させる事態となりました。一瞬でヨーロッパでの「ディーゼル信仰」が打ちのめされた瞬間です。

現在フォルクスワーゲン社はEV化へ大きく舵を切っていますが、そのきっかけとなった事件でした。

グループ内でのフォルクスワーゲン社

世界1位の地位はともかくフォルクスワーゲン社のグループ内での立ち位置はどうなんでしょうか?

 

フォルクスワーゲン社が販売する車のラインナップを見るとDセグメント(高級車一歩手前くらい)までしか販売していません。それ以上はグループ企業の「アウディ」であったり、先ほど紹介した傘下企業の「ベントレー」「ブガッティ」「ランボルギーニ」の専門分野です。

この形態はアウディの前進だった「アウトウニオン」の運営方針に似ているように思うのは私だけでしょうか。

 

しかし「ゴルフ」を中心としたフォルクスワーゲン社の車は品質が高く、この姿勢を貫く限り中国市場のリスクを除けば世界上位のメーカーの地位は揺らぐことはないでしょう。

まとめ

ドイツの自動車メーカーの中では歴史の浅いフォルクスワーゲン社ですが、それでも色濃い歩みと言えるでしょう。

乗ってみれば分かりますが、ホント「真面目な車作り」を体現しています。剛性高い車体にしっかりとした足回り、そしてそれらすべての結果としての安心感は絶対に経験しておくべき車です。

日本人にとっては何かと考えさせられるフォルクスワーゲン社なのですが、車の価値は不変だと知らせてくれる良いメーカーなのは間違いありません。

 

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